株価と経営者

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 株価とは経営者の成績表である。

 経営者のなかには、株価について「株価は我々にとって関心もないし責任もない」と
この様な事を信条とし振りかざす事で、このての質問を切り抜けてきた。
たしかに自社の株価が変動しようと経営者には責任がないというのは確かに真実ではあるでしょう。

 しかしだからといって、経営者が自社の株価をまったく気にするべきではないということには
決してならない。この考えは根源的に誤りであるだけでなく、完全に偽善的であるという点で重罪である。

 その理由として株式の市場性というものはそれを購入するに当たり、
最も重要視される要因の1つだからです。市場性とは株式が売買できる場所が存在することだけでなく、
それが適正な価格で売買ができる機会が存在することが前提として必要です。

 つまり株主の利益の為に行動する経営者の責任には、自社の株価が異常に安くなったり、
異常に高くなったりしないように最善を尽くす義務がある。

 自社の株価など知らないし興味もないと、その様に装う経営者には、怒りを覚える。
だが多くの場合、自社の株価に対しての、経営者の関心は高く、たまに逮捕の報道がありますが
インサイダー情報を使って株式市場で株取引を行い、既存の投資家や株主にダメージを与えることもある。

 (日本には、黒い企業は多いし、日本の市場は嘘くさいともいえるし、
確か言われているのではなかったかな、ライブドアの前に滅ぼすべき一部上場企業が多々ありますが。)

 経営者には2つの義務がいる、ひとつは株価を常にチェックする事、
そしてもうひとつの義務は株価に矛盾、つまり高すぎたり安すぎたりした場合に、
あらゆる適切な処置を講じる義務である。株価が高いのは別に良いのでは?と思うかもしれませんが
放置すれば歪を生みいずれは間違いなく株主や企業の不利益になる。

 結局のところ、市場で一番大切なのは、、既得権にしがみ付き、
企業の価値を創造できない経営者には消えてもらうということ、それだけではないですかね。

 市場に上場している経営者の義務は企業価値を高める事、ただそれだけである。
企業価値が上がれば、株価は上がるもの、つまり株価は経営者の成績表なのです。

 上場企業の経営者である以上、株価を気にするべきだ、もっとも毎日見る必要はない、
三ヶ月から四ヶ月に一回位でよいのではないでしょうか、ただし、それ以上長い期間見ないのはダメです
なぜなら、ビジネスは基本的には、ショートスパンだからです。

 人生においても自分の評価という市場価値を気にしておくべきであり、
また社会的評価に囚われない「正味の自分」(原点)を把握しておくべきである。

 過小評価されていれば、役不足なつまらない仕事をやらせられるし、
過大評価されれば期待にこたえることができず評価が極端に落とされる。
背伸びして無理をするのは構わないが、無理をしていることは事実としてあるとことを忘れてはいけない。

 昔何かの雑誌に、サラリーマンは皆自分の給料が安いと思っている、
でも本当は自分には実力があって、それを上司が分ってくれていないだけなんだと、
自分を納得させていると書いてありました。

 彼らは上司が認めてくれないだけだというプライドを糧に、安月給を納得している。

 そして、勤務評価が不正確だという認識を全員が共有しているから、安月給でも我慢できた、
しかし今は、能力主義、成果主義、つまり完全に正確な勤務評価がされつつある、
そのようになれば、彼らのプライドはずたずたにされることだろう。

 そもそも、企業が存続するためには、社員にオーバーワークをしてもらうことが前提としてある、
どのような企業に勤めようと、基本的には自分が仕事をして稼いだお金よりも、
少ない給料しかもらえない、そうでなければ企業は利益が出せないからです。

 企業が収益を出し、株主への配当、設備投資などの資金は、給料からの余剰価値が収穫されている、
仕事に対して給料が安いのは資本主義では当り前です。

 企業は収益を出し続けないと運営できないのだから、給料が安いというのは、
給料という語の定義上当り前、労働の対価として不当に安い物を賃金と呼ぶのです。

 分相応と思っている人は以外に少ないかもしれません、ほとんどの人は自分は過小評価されている、
やっている仕事に対して不当に低い評価しか受けていないと思っている。

 過小評価されて苦しんでいる人というのは、正味の自分が把握できていない為ではないでしょうか。

 ちなみに自分探しではないですよ、自分自身への無知という欠落は、
いわば創造性の源泉だと聞いたことがあります。

創造の根本にあるのは、
 「自分が何故こんな物を創造できたのか、その起源、プロセスに対し明確な事は何もいえない」
という創造についての無知だからだそうです。

 そうかも知れません、人間は自分について知らないからこそ生きていける。
自分自身の根源(核)に無知と言うものがない人間は、ものを創ることはできませし、
創る必要もないでしょう、自分の中の理解できない部分なども含めて全部豊かさなのです。

 無知であるべきところを、曝け出し言語化するなどは生産的ではないのではないでしょうか、
セクシュアリティというのもそうです、カミングアウトとも言うのでしたかね。

 そのように同一の人々が集まり低値安定するのはどうかと思いますが、
それ以上下がる事はないかもしれないが、上がる事はない。

 つまり自分探しなどは疲れるだけで、悪くすれば自殺行為になります。自分探しには価値はない。
正味の自分というのは、例えば自分が世界に受け入れられて、世界の一部をなしていると、
そう確信(誤解)できた瞬間の、心地よい感覚それを核にしたものだと考えています。

 それに自分探しという欺瞞は探すという行為は誰がやっているのかを明確にしない点がある。


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