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| TOP>プラス思考とマイナス思考 セラピストは患者のマイナス面を問題にして、プラスに変える為に治療する。 落込んでいる人には励ましを、(それは、逃げ道を塞ぎ) 怖がっている人には勇気付けて、(それは、注意力を奪う) 人生において、嫌な感情は普通じゃないし、不要だという思いが、セラピストと患者にはある。 そして、大抵の人はマイナス思考を否定し、プラス思考を肯定する。 それは正しいのだろうか? 例えば 患者 「屋上から飛降りて死んでやる」 セラピスト「プラス思考、前向きに考えなさい」 患者 「新しい世界へ旅立ってやる」 セラピスト「そのいきやよし」 上記はある意味、前向きに考えてはいる、死んで終るのではなく、 死んで新たに始まると前向きに考えてはいる。そこに救いが在るかは当人しだい。 冗談はさておき、プラス思考での考え方、話し方、友人関係は結構な事だろう、 だからといって、対極のマイナス思考が全て悪いということになるのだろうか。 それに、風景には遠近があってこそ認識できるし、楽あれば苦ありという言葉があるように、 ポジティブな感情は、反対のネガティブな感情あるからこそ成り立つ。 それでも、マイナス思考に意味は無いと不要だと言うのだろうか。 鬱病というものがある、遺伝的素因を別にすれば、そう簡単には鬱病にはならない。 心理的ストレス、葛藤や、人間関係、日々の生活などで起こる問題に長い間悩む状態が続く事により 鬱病になることがある。 つまり鬱とは、心と体の健康を守るためのシステムともいえる。 そうして鬱になり「心のストライキ」状態に入り、時間を掛けて強制的に緊張を解し、 周りの人の協力を得て処理をする。 鬱病から回復した患者の多くは、 「二度と鬱病にはなりたくないが、今から考えればそれは気づくために必要ではなかったのでは」 とその様に、後に思う患者がいるそうです。 鬱になり、考え方がマイナス思考に囚われたとしても、 其れはその人が立直る為に必要な事だったのかもしれません。 感情というものにも、マイナスがある、怒り、恐れ、悲しみなどがあるがこれも必要なもの 怒りは自分を主張する事ができるし、恐れは危険に対しての注意を促し、悲しみは大切なものを気づかせる これらマイナスの感情と言われる事もある、怒り、恐れ、悲しみを否定し、無くしてしまえば 人は救われない、有害な治療となる。 人生に痛みが在るのは自然な事、それを否定してプラス思考を喧伝すれば、逆境に弱い人間になる。 そして心理治療の患者が増えれば、セラピストは商売繁盛で結構な事だ。 確かにプラス思考は、患者を今すぐ救えるという魅力的な力がある、それが一時的な「騙し薬」だとしても 子供の頃、馬鹿な事をして怪我をする、その痛みにより、もうこんな馬鹿な事はしないと思うもの、 (例えば味噌汁をストロウで吸ってみたりね) それは痛みという警告だったわけだ、心も同じ事その痛みにより人との係わり合い、距離などを掴み 自分という人となりができる。 それの痛みを、プラス思考で麻痺させてしまえばどうなるか考えるまでも無い。 最後に、プラス思考を否定するつもりは無い、マイナス思考も、だからといってバランスが重要だとも思わない バランスがとれている事が良いという考え方は高校の時に否定しているし、今も変わらない、 実際偏りはあるものだろうしね。 以下高校時代のメモ(駄文) ********************************************* 「精神的に正常で安定した人はある程度の矛盾を内面に持っている」という言葉があった。 正常ってのはなんだ?まあいい、精神は矛盾や問題を抱えながらも全体として破綻しなければいいのだ。 完全無欠とか矛盾や苦悩、煩悩なき心などを人間に求めてはいけない、それでもそれらの無い者(神?)に 成り下がりたいのなら人間をやめるしかない。 まあ、変わった人はいるもので意外にも、其れを求め窮屈になりたがる人がいる。 人の心には相反すものが同居している、善意と悪意、向上心と怠惰、論理と直感、優しさと残酷など そういえば精神学の研究した成果によれば、創造性を発揮している瞬間(芸術家で実験したらしい) 人は精神の微妙なバランスが取れているという。 まあ、落込んでいるより何かをやっている方が、精神には良いという事だが、 とはいえ一人で落込んで鬱に入り込むのもいいと思う、バランスがとれている事が良いとは言えんからねー |
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