人生設計

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 人生設計という長期計画は、将来を管理できるという幻想を抱かせる、
心地はよいだろうが危険である、未来に向けて必要なのは人生設計ではなく、

 ただ望む何かを得ようと貫く「意志」である。

 人生設計と聞いて一つの童話を思い出す、イソップ物語のアリとキリギリスを、
人生設計をしっかりして、冬に備えて夏に汗水垂らして働いているアリと、
人生設計をまったくしないで、気ままに歌いながら夏を過ごすキリギリス、結末は知っているだろう。

 これは人生設計の勧めだろうか。

 投機家はいう、実際の人生においては、アリは巣から燻り出されたり、
ブルドーザーで巣を破壊されたりして、酷い目にあうもの、
機動力のあるキリギリスはこだわるものはないのだから逃げればいい。

 この場合は、アリは長期投資家、キリギリスは投機家といったところかな。

 この童話や、偉人伝もそうだが、学校の図書館にある本の共通に、
苦労、努力、成功の単純なパターンがある、私が行っていた学校は田舎なので都会ほど本は少ないが、
全体の2/3位読んだ感想は、異常なほど、まるで洗脳をする為かのような偏った本しかなかった。

 学校が、国家が何の為の教育をしているのか、疑ってみるべきである。

 さて、投機家は更に人生設計を立て、破産寸前になっている一組の夫婦の話をしている、
彼らは退職後年金と社会保障で月に700ドルを手にする事ができると試算した、
この当時では非常によい所得だと思える金額だったそうです。

 実際、彼らが年金と社会保障で月に700ドルを貰って生活しようとしたとき、
その金額では、食事を取らないのであれば小さなアパートが借りれるくらいの価値しかなくなっていた。
彼らの人生設計には老後のために家を買うことも計画にはあった。

 ローンを組まずに現金で払おうと考え、六十五歳までに、二万ドルを貯める計画だった、
その計画を立てたときは大金だったかもしれない、
しかし彼らが六十五歳のとき二万ドルではまったく足りなかったし、実際は人生設計にはない、
不幸に見舞われて、予想外の出費が出た。

 勤めていた会社は潰れ、年金計画は潰れ、貯蓄を切り崩さなければならなかった、
貯蓄の金利は予想よりは上がっていたが、元本は減っていく一方だった。

 彼ら夫婦の不幸は、なんであったか、それは計画と予想外の出来事である。

 彼らは計画に依存しすぎ、根を下ろしてしまった。
友人が独立し会社を興すとき(今では繁盛している)、彼らは誘われたが躊躇した、リスクがあり過ぎると、
自分たちの人生設計の心地よさに逃げ込み、リスクを取る必要はないと考えた。

 彼らは人生の全てを計算し、計画は彼らに快適な人生を保障していた、
それにより彼らは人生設計によって自分自身を欺く事になった。

 この話は極端かも知れないが、人生設計のような長期計画は立てたとしても、
あまり重きを置かない方がいい、自分の明日の姿は大まかには分るだろう、では一週間後、
一月後、一年後、十年後段々と視界は悪くなっていく、自分すら見えないのに、
社会となれば更に読めない。

 それに、人生設計には問題がある。

 人生設計で計画を立てるときは、例えば三十代の時までに・・・、四十代の時は・・・・、
五十台・・・、で大体は平均寿命である八十代位までの人生設計を立てます。
大まかにいえば大体五年〜十年間隔の平面の時間割に書き込んでいきます。

 そして、それぞれの区切りの中に、大体この位で結婚して、この位で子供、この年で退職、
ここからは年金需給などを、記入し埋めていく。

 この時間割の人生設計は確かに素晴らしいだろう、自分のある程度の理想の形なのだから、
そうではないだろうか、不幸を願う人はいないだろう、しかしこのての人生設計には大きな欠陥がある、

 それは、自分が八十代、あるいはそれ以上まで生きている事が前提としてあることである。

 この人生設計には時間という概念がない、極端な話、
明日自分が死ぬかもしれないという可能性をまったく考慮に入れていないのだから、
完璧なものは素晴らしく写るかもしれないが、完璧なものは必ずなにかを阻害する、

 それが人生設計では時間ということ。

 そもそも何故、平均寿命などを考慮に入れるのだろう、
平均寿命とは大体の同世代が死んでいる年齢ではあるが、死について重要なのは、
同世代が大体死ぬ年齢ではなく、自分が何時死んでしまうか「分らない」、と言う事の方ではないだろうか。

 人生設計のように、三十代からこう生きようなどと考える人は、自分が明日にも死ぬかもしれない、
という可能性をまったく考慮に入れていない。

 そもそも、こと個人において統計で出す数値は無意味なものではないだろうか、
例えば今回の平均寿命など、考えてみればいい、自分が平均的な人生を、世間一般の平均通りの健康で、
平均通りの給与をもらい、平均寿命まで生きられる。

 こんな平均的な、人生を自分が歩むなど信じられますか、もしも信じられるという人がいても、
その信じられる事が、信じられない。

 平均身長を知って、身長が伸び縮みするのだろうか、平均年収を知って、年収が増減するのだろうか
、それとも平均年収より多ければ仕事時間を減らし平均になるようにするのだろうか。

 結局のところ、寿命なんてものは、生きられる長さしか生きられない、
健康に配慮し長生きは出来るかもしれないが寿命から、多少長く生きられるだけであり、
平均寿命は関係ない。

 それなのに、人生設計をするような人達は、自分の身長や年収が平均値から逸脱しても平気なのに、
こと寿命だけは他の人と同じだけ、つまり平均寿命までは生きられると信じている。

 これは集団的に思考するという習慣の最も危険な事である。

 現実として何時死ぬかは分らないのだから、平均寿命などは実際どうでもよく、
人生において将来に確信できることは、無限の未知性に満たされていることではないだろうか。

 最後に一つの歌をご紹介

 門松は、冥土の旅の一里塚 めでたくもあり、めでたくもなし

 上記は、一休和尚の歌です、一休和尚は正月には、杖の先にドクロを付けて、この歌を詠みながら街
を練り歩いたそうです。素敵すぎるセンスですね。

 いつか必ず死ぬことを意識していれば、今を大切に精一杯生きる事ができるという教えです。


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