気づいたこと、それは

気づいたこと
TOP気づいたこと

 例えばです例えば、認知症の老婆がいます。
この人は、毎回、様子を見に行くたびに同じ内容の思い出話と愚痴とを繰り返していく。
テープに録ったみたいに毎回毎回正確に繰り返していく。

 「ふー、またこの話ですか」と、うんざりとして、聞かされる側としては苦痛だった。

 けれど色々考えを改め、学んでいくうちに気づいたことがある。それは

 婆さんの人生はこの話ですべてなんだ。

 たった10分程度語る位の内容が、今では婆さんの全世界、全てなのだと気づいた

 そうしたら、毎回繰る返されていた婆さんの話が、婆さんにとって、
かけがえのないものだという事を理解した。

 そして、これはある種の面白さや気づきをもたらした。そして
言葉の持つ切実さにも考えをめぐらせる。

 毎回繰り返される話が、一人の人間にとっての全世界であるということをどう思いますか?
、私はこれは凄いことではないだろうかとそう思えた。

 私個人も発見があった、それは繰り返される日常にさえちょっとした発見があるということ。
別な見方に気づいたり、あるいは今回のように大切さを見出したりすることがある。

 大差のなさそうな経験が重なっていくことは、退屈とはならない。
同じ事、物が幾重にも重なってこそ、微妙な差異に大切なものが見えてきたり、
新たな発見があるかもしれない。

 繰り返しであっても、それを同じ構図で眺めていれば確かに退屈なのかもしれないけれど、
もっと違う方向(方法)でやれば、かえって単調なものほど意外なものが見えてくるのかもしれない。


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