高橋亀吉 |
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| TOP>高橋亀吉 高橋亀吉は日本を代表するエコノミストです。 (高橋亀吉、山口県生まれ1891年〜1977年) 亀吉は、小学校を出たあと、商店に入り、まず丁稚として働き始める。 独学で経済を学び、そして早稲田の商科に入る。 望んだ三井物産は小児麻痺ゆえに断られ、鉱山の久原鉱業勤務を経て、 1918年に石橋湛山が主幹を務めていた東洋経済新報社に入社する。 当時は、まだ胡散臭い職業と見られていた経済雑誌で記者になり、文章を書く。 その後フリーとして活動を始め、1932年に高橋経済研究所を創立すると、 『高橋財界月報』を刊行して経済評論において先鞭をつけた。 戦時中は近衛内閣のブレーンとして活躍、終戦後公職追放されるが、解除後は評論活動を再開。 60年代の高度成長期には池田勇人首相のブレーンを務めた 現実的で、先見性がある。とは高橋亀吉について、良く言われることです。 あの時代「日本は発展した資本主義の段階にある。だから、矛盾も大きく、革命も近いのだ」。 帝大を出たエリート達は、未来を楽観し、今を直視せずそう説明していた。 高橋亀吉は違った。現実をみすえ 「今は、供給過剰で物価が下がってる状態なのだから、その解決を考えなくてはいけない」 そう訴えた。 高橋亀吉氏への質問にこんなのがあった。 「今、アメリカの経済政策がうまくいっています。なぜ、日本はそれができないのですか」と、 「それはね。日本は日本だからで、アメリカではないのだよ」と言われた。 この言葉は、今でも鮮明に憶えている。 当たり前のこと、でも当り前じゃなかった時代があった、今もそうなのだろうか? 学んでいないのだろうか。そうは思いたくは無いでも 今なお、西洋から新品のモデルを輸入して紹介し、 何とか日本の現実に当てはめて解説しようとする学者や識者は多い様に思える。 例えば、政治では「マニュフェスト」、経済ならば、「インフレ・ターゲット」。 聞いたことがあるでしょう。 あいもかわらず新しい製品(言葉)が、輸入され売られている・・・。 それさえあれば、問題はすぐに解決するのだろうか? 問題があるとよく、主体性が無いという発言を耳にする。 確かにそれが無いから、次々と現れる新製品に頼ろうとしているのだろう。 自分に自信の無い人が、ブランドを手に入れれば安心だと考えてしまうように。 (ブランド=例えばバッグなど、例えば有名企業の肩書、例えば肩書きのある人の発言など) さて 高橋亀吉の時代は「行き詰まり」の台頭がある。 日本経済の不況、労働争議や小作争議の頻発。921-22年のワシントン会議に象徴される 主力艦の建造制限(戦艦保有トン数、米英10対日本6)、日本の対外膨張への欧米からの牽制など、 明治以来の日本の上向きの発展は、大きな曲がり角にさしかかった。 1920年の反動不況、1923年の関東大震災の経済への打撃。 1927年の金融恐慌、1929年の昭和恐慌(世界大恐慌の波及)へと連続し、 まさにこの時代、日本経済は「行き詰まり」の状況を呈した。 「もはや日本経済は行き詰まった」という議論の代表選手はやはり高橋亀吉でしょう。 亀吉の論説に1929年の「日本経済の行き詰まり」があります 亀吉は、「我が経済は、周知の如く、明治維新以来、驚くべき長足の発達を遂げ、 大体に大正年間に於て、一先ずその資本主義的成熟を告げるに至った。 しかし乍ら、それと同時に、これ迄、我が資本主義の幼年期より成年期に至る発達を培ひ来りし 土壌は、一応その主なる営養分に枯渇し、加ふるに、此間、多くの矛盾、 腐敗その他の漸く沈殿するあり、茲に我が経済は、維新以後僅か六十年にして、 早くもその資本主義的発展に行き詰まるに至った」と。 彼が行き詰まりを示す項目は以下の通りです。 (1)商工立国的発展に行き詰まったこと。 ・粗工業(是迄に於ける我が工業の発展段階)の凋落。 ・消費品工業より生産品工業への進出難。 ・精工業に由る海外発展の至難。 (2)農村経済の行き詰。 (3)国民生活の行き詰まり乃至破綻。 ・産業行詰と人口問題の圧迫累増。 ・農民、中小商工業者、会社、公営物等の売食乃至借金の累増に表はれた自滅現象。 ・貿易の入超、国際収支の悪化等に現はれた国民経済の破産的傾向。 ・階級対立の激化。 ・其他国民生活の破産的諸現象。 商工立国的発展の行き詰まりをもたらした大きな要因として亀吉が指摘するのは、 「模倣的発展の行詰」です。 亀吉は言う 「欧州に於ては三四世紀と云ふ長年月を必要とした資本主義文明の発達が、日本に於ては、 明治維新以降僅か半世紀の間に成し遂げられた。 この「驚異」すべき長足の進歩の大発達は、そもそも如何なる原因に由来するか。 それは、一部の日本人が屡々誇示したるが如く、日本人のとくに優秀なるが故では決してない。 さうではなく、欧米に於て、多大の犠牲と数世紀の歳月とを費やして、研究錬磨され、 斯くして始めて完成し、発達することを得た科学及び技術を、 日本は、維新と共にそのまゝ移植し模倣し得るの幸運に恵まれ、之に由って、 我が生産力は飛躍的に増進し、我が資源は急速に開発されることが出来たからであった。」と。 そして、政策として 「「模倣」に由る発達を打開するには「創造」に由る発達に方向転換をやる外に策はない。 然るに、従来の我が政治、教育、経済等の諸制度は、模倣時代に適順して発達せしものなりし結果、 創造的に経済の発展を図るには不適当の点が多大である。 例へば、その政治、教育制度が画一的中央集権である如きは、「模倣」には便宜なるも、 事情を異にする各地各様の現実から出発することを必要とする創造的経済の発達には 全く禁止的制度である。又、学校の教育が詰込み主義であること、学者研究家の多くが、 翻訳本位であること、官庁其他の新計画の多くが、主として、欧米諸国の模倣であること等も亦、 模倣時代の遺風であって創造を阻むものである。」と。 他にも亀吉は、 ・資源の不足、労賃の高騰、帝国主義的発展の行詰り (この時代帝国主義に対する世界世論の急転回がある、当然として軍事費負担の重圧) ・中国における粗工業の発達、 ・産業保護の中毒作用、資本家の利潤獲得方法の腐朽化(政治依存、蛸配当などの、モラル低下) 等を指摘し、我が国が「精工業」(産業)の発達は不可能であるという悲観論を述ている。 「英米独の如く、その国が重工業的に−その生産品の多くは生産用具である−発展せんがためには、 必ずや、鉄鉱及び石炭の豊富にして低廉なる資源に恵まれていることを必須条件とする。 然るに、之を我が日本について見るに、鉄鉱及び石炭の二ともその資源に乏しく、 就中鉄については、今日の技術の程度に於ては、殆んどその資源無しと云ふ貧乏状態であり、 石炭は多少あるにはあるが、英国に比して倍以上の高価につく有様である。 之では到底鉄工業国たるの資格はない」と。 そして、商工業発展の行き詰まりは失業問題、農村過剰人口の滞留、労働争議の激化、 小作争議の激化となり、資本主義の枠組みのなかでは解決不可能な状態に達していると 主張する。 悲観論ですね。 なお、亀吉の議論は、社会主義者と同様に、日本経済は資本主義的発展において行き詰まったのであり、 別の経済システムを採用すれば発展の余地はあるという考えです。 でも、現実は違った鉄工業国となることの悲観論は、戦後高度成長期を経過した今日では、 その見通しは間違っていたことは明らかです。 しかし、模倣的発展の行き詰まり論は、現在、横行している日本経済の 「改革」をめぐる議論によく似ている。 (教育の問題点などは随分と昔から同じ事が言われていたわけだ、詰込教育、創造など。 亀吉が凄いと思うべきか、今の識者が情けないと思うべきなのか・・・。) 80年代からバブル期までは、世界一効率の良いシステムともてはやされていた日本的経営、 日本型労使関係、日本的政官財システムなどについて、 今度は手のひらを返すような話ばかりが横行してる。 礼賛論も、全否定論も、どちらも表面的です、もう十分。 さて、悲観論の対極の楽観論といえば石橋湛山です。 石橋湛山は、冷静な見地から楽観説を述べます。 『東洋経済新報』1923年9月13日号(関東大震災の2週間後)で 「天恵乏しきをいたまず、人工足らざるを憂う」という論説で、次のように述べます 「我国の一切の産業は行詰っておる。鉄は無い、石油は無い、石炭は無い、塩は無い、 農産物は無い。今日の産業に於て、否、一国の存立に於て、必要欠くべからずとせらるる物は 総て無い。 無いと云うのは、或いは云い過ぎであるとするも、少なくとも、無いと云うに近い乏しさである。 昔は豊葦原の瑞穂の国、我が国ほど、世界に於て、天恵に富んだ国はないと自惚れたものであったが、 今はその反動的に極端に悲観せられる。 其悲観は、国民の思想に、従て又政府の政策に著しき変化をもたらした。 回想するに、日清戦争、日露戦争までは、 其等の戦争を仕組んだ当路者の考えは何うであったにしても、 国民は唯だ国威国権の伸長と云うことに心をおどらした。 台湾樺太を手に入れる。南満に特殊利権をを獲得する、朝鮮を併合する。 勿論其等の経済的利益と云うことも考えられないではなかったが、併し国民一般の感情は、 斯くて日本が膨張する、世界的大国民になると云う点に、より大なる興味を持った。 自然当局の諸政策もこの感情に支配せられ、所謂大日本主義、帝国主義の景気好き所を見せた。 日本は世界無比の恵まれた国、其恵まれた力を以て伸びるのだ、活動するのだと云うのが、 当時を覆う全般の空気であった。/然るにこの空気は、いつの間にか変った。 而して今は日本ほど恵まれぬ国はない、だから何とかせねばならぬ、斯う云う思想に支配せらるる。 ・・・・」 しかし、バブル崩壊後の日本経済の「自画像」の変異と、結構似ていると思う。 石橋湛山はこうした極論には組みせず、あくまでも冷静に事態を直視することを主張している。 例えば、輸入超過が亡国のもとであるかのような議論に対し、次のように反論します 「所謂国際貸借の改善に就ては、政府は頻りに苦心し、其考案を纏めつつある。 民間に於ても之を論議し、意見を発表する向きが少なくない。 併しながら吾輩を以て見るに、我朝野が此の問題を此頃取扱う態度には、 唯だ目先に起れる若干の事実に周章狼狽し、 我国民経済を静かに大局より観察するの明を喪えるものがある。 即ち彼等が俄に此問題を騒ぎ出したのは、近年の我大輸入超過と円価の崩落とに刺激せられた 結果であるが、彼等は此二事実を無闇に悲観してしまった。 そして、何んでも彼でも輸入超過を絶たねばならぬ、 国際収支尻を受取勘定に向けねばならぬ、然らずんば国家は滅亡だとあわてておる。 事柄は少しく違うが、吾輩は徳川末期の攘夷論を思い起す。 黒船が沿海に出没した、通商互市を要求せられた。 攘夷論者は、之を唯だ一途に国家を滅亡に導くの事実として悲観し、又狼狽した。 いずくんぞ知らん、其黒船の来航や、通商互市の要求は、 封建諸侯三百年既に全く行詰れる我経済局面を打開し、 新日本を建造する福音をもたらしたのであった。 今日我朝野の心配する輸入超過も亦、大局より観察すれば、其意味は之に近い」と。 「輸入超過興国論」を述べる。 明治元年以来第一次大戦まで、日本が輸出超過であったのはわずか数年間であり、 その結果は滅亡ではなく興国ではなかったのかと問い、それらは国際貸借によって賄われた訳であるが、 そうした借金は世界が驚嘆する我が国の発展の基礎であったのだと述べている。 悲観論の高橋亀吉と、楽観論の石橋湛山、 第一次大戦後の日本経済の大きな曲がり角、長期不況と、それに対して現れた悲観論が、 バブル崩壊後の日本経済をめぐる議論との類似性に関心を持っている。 結論的には、石橋的な楽観論は少数派にとどまり、悲観的認識に基づきつつ、右翼左翼への、 「危機」対応的な、極端な方向が支配的になっていく。 そうした危機論がなぜ起こってくるのかという点に踏み込んでいく必要はあるのだろう。 この時代、第1次大戦後の長引く不況のもとで、 「行き詰まり」という言葉がよく使われるようになる。 明治以来、いくつかの不況、困難はあっても、基本的には、政治・経済両面において、 上昇基調にあった日本は、大きな曲がり角に立たされます。 一部には冷静な認識をした人たちがおり、 そのような方向へ進むことも不可能ではなかったが、実際には、「行き詰まり」を過大に受け取り、 無謀な打開策を求める方向へ進んで行く。 この時代の「行き詰まり」論を読んでいると、日本の現実に対する自己否定の仕方が、 今の日本経済をめぐる議論によく似ていると思えてくる。 今は「行き詰まり」ではなく「閉塞感」でしょうか? この時代の過大な「行き詰まり」感が支配的になってしまったのかを考えてみることは、 意味があると思う。 個人でも、適度な自己否定は自己発展にとって不可欠な作業でしょう、 しかし過大な自己否定はかえってマイナスです。 簡単で無いでしょうが、 現在の日本経済について冷静な自己認識はどうあるべきかを考える上で重要だと思える。 楽観と自信の所にも書いていますが、未来に対しては自信を持ち、現実を直視することが重要。 高橋亀吉は、現実は見ていたが、未来を悲観していたと思う、 それは結局、現実を自分の都合の良いように見ていた可能性もあるのだと。 歴史の見方に ・「歴史を冷めた目で眺め、未来を楽観し、現在をありのままに見つめる」 ・「歴史をロマン主義でとらえ、未来を悲観し、現在を自分勝手に解釈する。」がある。 これは、松本清張と司馬遼太郎の違いです。 歴史の見方は個人の人生観ですが、責任を負う者は前者になる。 亀吉以降社会は、どちらかと言えば後者になっていったのだとそう思う。 其れは、決して未来へ責任を持つ者のあるべき姿ではなかったのではないか、 今は、少子高齢化、年金・福祉問題など「閉塞感」が地方には漂っている。 第一次大戦後のバブル時代と、昭和デフレの時代に生きた亀吉は、統制された経済を主張した。 亀吉の考えた現実的な統制経済、人材、資源、資金これらを、官僚たちが計画的に配分する社会は、 確かに高度成長をもたらしたかに見える、 しかし今は、官僚による統制経済が日本の社会の問題の一つになっている。 学歴で人を選別し、物を中心に幸せを考え、金を追い求めるだけの社会に、結局人の求めるものがなかった のかもしれない。 今、社会は高橋亀吉の呪縛からの転換を迫られているのだと思う、 今までのように無責任ではすまされない、責任ある見方が。 **************************************** そういえば、投資をした事がある人は 一目山人という人物を知っているでしょう。 山人は、パイオニアとしての自負が強かったので自分自身を株式評論家と称していました。 彼も、高橋亀吉と同時代の評論家です。 (後で、見直し煮詰まった) |
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