フォークランド戦争

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 900人以上の死者を出したフォークランド戦争の開戦から2日で25年経ちます。

 概略

 南米大陸から480キロ離れた南大西洋にあるフォークランド諸島は計780の島からなります。

 英国が1833年から実効支配し、アルゼンチンと領有権を争ってきました。

 アルゼンチンの軍事政権は自らへの国民の不満をそらそうと

 82年4月2日に諸島に上陸し、制圧。

 激しい戦闘の末、6月14日にアルゼンチン軍が降伏しました。

 アルゼンチン軍650人、英軍255人が戦死。

 アルゼンチンの軍事政権はこの敗戦で崩壊しする事になる。

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 今アルゼンチンでは、戦争を始めた軍政への嫌悪や敗戦の屈辱から、
多くの人々が「馬鹿げた戦争だった」と振り返るそうです。

 一方の遺族達は

 「国のために命をささげた若者たちが忘れ去られている」と訴えている。

 弔いと愛国心の落ち着く先は、今なお見えない。どの国も・・・。



 ブエノスアイレス中心部にある「マルビナス戦争」慰霊碑。

 開戦記念日を前にした1日、遺族が訪れて死を悼む。

フォークランド諸島 ブエノスアイレス中心部の緑豊かな広場に、

 「マルビナス戦争」の慰霊碑はある。

 「マルビナス」とは、フォークランド諸島のアルゼンチンでの呼称です。

 そこに、戦争で死亡した同国兵の名が刻まれています。


一つの記事がありました。

 開戦記念日を前にした1日、退役軍人たちが軍服姿で集まった。

 遺族は花を手に碑を訪れた。

 ニウダ・パレイラさん(56)は母のエルミンダさん(81)と碑を訪れ、

 末弟のアレハンドロさんの名前をいとおしそうになでた。

 英軍の爆撃で、27歳の命を落とし、妻と2歳の娘が残された。

 「弟は、愚かな権力者たちに2度殺された」と彼女はいう。

 「戦場に送った軍政の指導者によって命を奪われ、その後の民主期の指導者によって

 愚かな過去

 として、人々の記憶からも消された」、 彼女は訴える

 「戦争は間違っていた。外交による解決を選ぶべきだった。
 だからといって、戦没者を尊ばなくてよいのでしょうか」と、



 敗戦後、帰国した兵士は、戦闘のトラウマや国民の冷ややかな姿勢に苦しんだそうです。

 うつ病やアルコール中毒になる人も多く、数百人が自ら命を絶ったとされる。

 アルゼンチンと英国は90年に国交正常化した後、漁場保護などで関係修復をすすめています。

 しかし、アルゼンチン政府は今も諸島の領有権を主張しています。

 今年の3月末には海底資源探査での協力を一方的に打ち切った。

 アルゼンチンの有力各紙は「ナシオン」は地元大学によるブエノスアイレス市民の
意識調査を掲載しています。

 政府が諸島の領有権を主張することは70%が賛成。

 だが、島を奪還するために再び軍事力を行使することには80%が反対している。

 忘却も進んでいるみたいです。

 戦争での死者数を9割近くが答えられず、当時の大統領の名を6割が答えられなかったそうです。


 日本の問題も思い出しますね、アレは某新聞社の責任でしょうがね


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